市の概要
沿革
三田の地に人々が暮らし始めた歴史は、はるか数万年前の旧石器時代にまでさかのぼります。
奈良時代には現在の屋敷町周辺に、のちの金心寺につながる寺院が建立され、門前には「まち」も形成されたと伝えられています。また南北朝時代の記録には「三田城」の名称がみえ、このころまでには「三田」の地名や拠点となる城郭がこの地に成立していたと考えられています。
安土桃山時代には城下町が形成され、周辺の豊かな農村地域から供給される米や材木などの集散地として、流通・経済の中心地となりました。江戸時代になると三田藩九鬼氏および麻田藩青木氏の支配となり、三田藩3万6千石の拠点として繁栄しました。明治維新を迎え、1870(明治4)年に兵庫県となるまで「三田県」の藩庁がおかれ、郡役所の設置や1899(明治32)年に阪鶴鉄道(現JR福知山線)の開通などにより、現在の神戸市、西宮市の北部を含む有馬郡の中心地として開け、1928(昭和3)年には神有鉄道(現神戸電鉄)が開通したことにより、三田駅を中心とした新たな街が形づくられました。
その後、1956(昭和31)年に藍村と本庄村が合併して相野町が成立、次いで、三田町、三輪町、広野村、小野村、川辺郡高平村が合併して三田町が成立し、さらに1957(昭和32)年に三田町が相野町を編入したのち、1958(昭和33)年に兵庫県20番目の市として三田市が誕生しました。
位置
三田市は、兵庫県の南東部に位置し、神戸市街地より六甲山系を越えて北へ約25キロメートル、大阪市より北西へ約35キロの圏域にあります。
北は丹波篠山市に、東は宝塚市、猪名川町に、南は神戸市に、西は加東市、三木市に接しており、東西約19.3キロメートル、南北約17.8キロメートル、総面積約210.32平方キロメートルの豊かな自然にめぐまれた田園都市です。
市庁舎の位置は、東経135度13分、北緯34度53分です。
地形
市域は三田盆地に位置し、北部と東部は500~700メートルの主要山岳が位置するのに対し、南西部は150~200メートルの盆地平野、段丘台地となっています。北西から南東にかけて貫流している武庫川やその支流の河川流域には農用地帯がひろがり、武庫川南端の三田・三輪地区には中心市街地、武庫川右岸の丘陵地には北摂三田ニュータウンが形成されています。
気候
気候は瀬戸内海性気候に属し、神戸市と比べ最高気温や平均気温には大差はないが、盆地状の地形から最低気温が低くなる特徴があります。年間平均気温はセ氏14度前後、年間降水量は1200~1500ミリメートル程度で農耕に適量の恵みをもたらしています。
人口
三田市が市制を施行した1958(昭和33)年の人口は約3万2千人でした。1981(昭和56)年の北摂三田ニュータウンの入居が始まる前までの人口は約3万6千人程度でしたが、入居開始以来順調な人口増加により、1987年(昭和62)年からの10年間は連続して人口増加率日本一を記録するなど人口急増都市として全国的に注目される中、1996(平成8)年には10万人を超え、2000(平成12)年に11万人に達しましたが、その後、増加ペースは緩やかになり、2013(平成25)年以降は減少に転じております。2023(令和5)年3月末現在の人口は約10万8千人(住民基本台帳)となっています。
関連リンク
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更新日:2023年07月27日