SUNだなヒト。「誰も取り残さないあかしあ台へ それが私にできる『恩返し』」令和3年11月16日放送
ラジオ番組「SUNだなヒト。」
広報誌「広報さんだ」の『SUNだなヒト。』のコーナーに掲載された方にお話を伺い、人にスポットを当てて、地域の魅力をお伝えするラジオ番組です。
地元FM局・ハニーFM(82.2メガヘルツ)で、毎月第3火曜日の15時10分から放送していますので、ぜひお聴きください。

番組内容(広報さんだ)
「あかしあ台自治会は日本一の自治会だねと言ってもらうことがあるんです」優しく微笑むのは奥村芳和さん。移り住んだのはあかしあ台がまだ18軒の集落だった昭和63年のこと。わずか1年後には600軒に達し、今や3千軒を超える大きなまちになった。「私がここへ来たときは、道路も街路樹も何もない状態でした。どうやってまちが創られていくのか興味があったんです」高校教員として多忙な日々を送る傍ら、まちづくりにも関わってきた。
平成元年4月に準備会を立ち上げ、7月にはあかしあ台自治会を発足させた。「僕は法務に詳しいから自治会の規則をつくるよ!」「私はパソコンが得意だから広報誌を任せて!」それぞれが得意分野を持ち寄り、みんなで一からまちを創り上げてきた。「よその地域から集まった知らない者同士。だからこそ力を合わせてやっていこうという気持ちが強かったと思います。点と点の間を埋めるような毎日でした」発足から12年間事務局として奔走したが、仕事に専念するためやむなく自治会から離れた時期もあった。
退職後、「またお世話になれないか」そう声をかけてもらった。「これまで頼まれた大抵のことは引き受けてきました。大変なこともありましたが、職場とは異なる自治会の場でさまざまな人々の考えに出会い、多くのことを学びました」屈託のない笑顔で話す奥村さんが大切にしてきたことは「他者への想像力」。自治会の事務局という裏方に徹し、地域の声に耳を傾けてきた。
まちへの恩返し――70代となった現在も、自治会のみならず、まちづくり協議会やあかしあっ子クラブなど多方面で活動し、その熱量はとどまることを知らない。「あかしあ台には、こんな老後を過ごしたいなと思える素敵なお年寄りがたくさんいるんです。皆さん本当に積極的に動かれていて。最期まで住み慣れた地域で活躍できる、そんなあかしあ台でありたいですね」まちの未来をそう語る柔和な眼差しからは、あかしあ台への愛があふれた。
広報誌「広報さんだ」11月号『SUNだなヒト。』 (PDFファイル: 464.4KB)

この記事に関するお問い合わせ先
- より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
-
更新日:2022年03月31日