川本幸民

更新日:2022年03月31日

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川本 幸民(かわもと こうみん)【1810年~1871年】

和服を着て、刀を腰に差した川本幸民の白黒の絵

江戸末期、三田足軽町(現在の三田市三田町)で、藩医周安の三男として生まれた。江戸で活躍したが、幕府が終了した後はふるさとの三田にもどり、長男の清一(せいいち)とともに現在の屋敷町(やしきまち)にある金心寺(こんしんじ)跡(あと)に英蘭塾(えいらんじゅく)をひらき、教育を行った。英蘭塾には三田のみならず全国から生徒が集まった。

どんなことをした人?

川本幸民には、蘭学者(らんがくしゃ)、発明家(はつめいか)、医者(いしゃ)としての三つの顔があります。

近代日本の化学の祖と言われた発明家としての川本幸民には数々の功績があります。

川本幸民の功績
ビール 1853年に書かれた「化学新書(かがくしんしょ)」に作り方が書いてあり、1853年アメリカ合衆国の黒船が日本に来たとき、伝わったとも言われるビールをためしに作ることに成功したとされます。
マッチ 1848年、ある商人が川本幸民に「西洋に擦付木という便利(べんり)なものがあるらしい。作れたら賞金をあげよう」といったのを聞いて、作ろうとしたそうです。
カメラ 1820年ごろフランスで発明されたとされるカメラをためしに作り、日本で最初に撮影に成功したとされています。このことは、遠西奇器述(えんせいききじゅつ)に書かれています。

受け継がれる偉人の志「川本幸民から学ぶまちづくり」

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