三田市ができるまで

更新日:2022年03月31日

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三田市ができるまで

三田の土地に人が住み始めたのはいつか?
そして、三田市が昭和33年(1958年)7月1日に誕生するまでにどのような歴史を歩んできたのか?

三田に人が住み始めたのは

いまから、約2万4千年前の後期(こうき)旧石器(きゅうせっき)時代といわれるころであると言われており、発掘調査(はっくつちょうさ)で石器が見つかり、遺跡(いせき)が発見されています。奈良(なら)時代には現在の屋敷町(やしきまち)周辺に、のちの金心寺(こんしんじ)につながるとも伝承(でんしょう)される寺院(じいん)が建てられ、まわりには「まち」もつくられたと伝えられています。

三田の地名が登場

室町時代(むろまちじだい)の寛正7年(1460年)の記録に三田村の地名が記(しる)されています。。 戦国(せんごく)時代には三田城(さんだじょう)が築かれて、城郭(じょうかく)を中心とするまちづくりが進められ、周りの豊かな農村地域でつくられる米や材木などの集まる土地として、流通(りゅうつう)・経済(けいざい)の中心としても発展してきました。江戸時代には、三田の町は九鬼氏(くきし)三田藩3万6千石の中心として大いに繁栄(はんえい)します。また、現在の高平(たかひら)地区の大半(たいはん)は、青木氏(あおきし)の麻田藩(あさだはん)の領地(りょうち)として藩の経済を支えていました。

明治(めいじ)以降の三田

明治以降は有馬郡に含まれ、鉄道(てつどう)の開通(かいつう)などにより、当時の有馬郡の中心地としてより一層の発展をとげています。その後、昭和31年に藍村と本庄村が合併して相野町が成立、次いで、三田町、三輪町、広野村、小野村、高平村が合併して三田町が成立し、さらに昭和32年(1957年)に三田町が相野町を編入したのち、昭和33年(1958年)7月に市制を施行し現在に至っています。

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