三田歴史通信「三田市ゆかりの人物たちが20歳前後だったころについて」令和6年3月7日放送

更新日:2024年03月18日

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 地元FM局・ハニーFM(82.2メガヘルツ)に市職員が出演し、三田市の歴史のこぼれ話・郷土学習に関する取り組みやサービスなどについて分かりやすくお伝えする番組です。毎月第1木曜日の15時10分~15時20分に放送していますのでぜひお聞きください。

彫像やイラストなどの写真が添えられた「三田歴史通信」のPRイメージ

放送内容

今回は、ハニーFM開局21年にちなみ古代から昭和にかけての三田にゆかりの歴史上の人物から8人の20歳前後の頃のエピソードについてお話をしています。

古代の人物紹介として、中大兄皇子が中臣鎌足らとともに有馬温泉に馬で来ていたという言い伝えがあることや、今年のNHK大河ドラマに登場する花山法皇が西国三十三所観音霊場を復興させるとともに現在の三田市の花山院(東光山菩提寺)に立ち寄りこの地で余生を送られたことを説明しています。次に江戸時代三田藩主九鬼氏の先祖である水軍大将の九鬼嘉隆について海賊の一人から後に織田信長の家臣滝川一益と知り合い信長に仕え「九鬼水軍」を名乗るようになるまでの再起を期した放浪の旅と合わせて紹介しています。次に安土桃山時代の女性天球院は2代目三田城主の山崎家盛の妻で関ヶ原の戦いで兄の池田輝政(姫路城築城)の奥方と若君を救出し家康のお礼を賜りその後の三田の発展に尽くしたことを説明しています。次に近代化学の祖である川本幸民の20歳代が新しい知識を吸収し後の飛躍に備えた時代だったことを化学の功績と合わせて紹介し、最後の三田藩主 九鬼隆義が藩政を立て直し明治維新後に福沢諭吉の勧めもあり事業を興し多角的な経営で繁栄したことを紹介しています。次に宣教師に従って渡米し帰国後に幼児教育の先駆者として教育の発展に尽くした三田藩士の子である甲賀ふじの20歳代について説明し、最後に旧三田藩出身の役人を祖父にもつ白洲次郎の妻である白洲正子について、日本の伝統文化や美を見つめ多くの美を探求するエッセイや著作をあらわしたことや夫婦が戦時中に東京郊外の「武相荘」で農業をはじめ土に根ざした生活のなか父祖の地三田を思っていたことを紹介しています。

三田ゆかりの多様な歴史上の人物の20歳代のころについて紹介しました。明日の三田をになう皆さんの参考になればと思います。

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