猫間中納言と母子草

更新日:2022年03月31日

ページID: 3421
道端で花を摘んでいる母子のイラスト

遠い昔、舒明(じょめい)天皇が有間(有馬)温泉に湯治(とうじ)に来ておられた時、羽束(はつか)山の観音様に猫間中納言定頼を代参された。

するとたちまち、みかどの病気が治った。そこでみかどは、羽束の里と近在の土地を中納言に与え、中納言は鷹原(今の母子)に住んだ。

ある春のこと、道端にかれんな黄色い小粒の花を見つけ、みかどに献上した。大層(たいそう)お喜びになられたので、毎年献上することとなった。

この草花は「奉公草」と呼ばれるようになった。何年かして中納言は世を去ったが、奥方と姫は、続けて献上した。

みかどは、ありし日の中納言母子を懐かしく思い出された。その後、奉公草を「母子草」とも言われるようになり、この土地(鷹原)を「母子」と呼ばれるようになったと伝えられている。

イラスト:岩本芳子
出展:三田市教育委員会「みんわまっぷ」平成7年

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