三田焼・三輪明神窯跡群

更新日:2023年02月10日

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三田焼・三輪明神窯跡群
情報
名称 三田焼・三輪明神窯跡群
読み さんだやき・みわみょうじんかまあとぐん
所有者等 三田市
指定区分
種別 史跡
年代 江戸~昭和時代
指定年月日 昭和49年3月22日
所在地 三輪
地区 三輪
数量 1件

 

JR宝塚線三田駅の北方約700m、三輪神社裏山の東斜面の中腹に三田青磁窯が位置する。昭和47・48年に発掘調査が実施され、3基の連房式登窯と素焼き窯が発見された。1号窯は、焼成室4房からなる窯で全長18m、最大幅5.5mで、焚口部から煙り出し部まで良く残っており調査のあと現状保存のため封土された。

旧有馬郡寺村の庄屋日記に「寛政拾壱己末(1799)三輪村明神山浦ニ茶碗山ヲ始 七月かまつき、細工人太市郎・貞次郎(後略)」とあるようにこの年から昭和初年まで焼き継がれた。文化・文政年間(1804~30)は最盛期で三田本町豪商・内神屋惣兵衛の支援によって、三輪の陶工・忠兵衛と京伏見の名工・欽古堂亀祐や細工人・亀井一族を迎えて「三田焼」の名声をひろめた。

青磁、赤絵、染付などが大量に生産され、とくに青磁のあがりは中国青磁に劣らぬ名品がある。茶器・花器・皿・鉢・文具・置物など多種にわたる。