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三田市は、7世紀末に金心寺の門前町を形成、室町時代には三田城が、安土桃山時代には城下町が築かれ、江戸時代には九鬼3万6千石の城下町として栄えた。明治時代以降は鉄道の開通などにより、有馬郡の中心地として発展をとげ、昭和33年7月に旧7カ町村が合併して県下20番目の市となった。
地理的には兵庫県の南東部に位置し、神戸市街地より六甲山系を越えて北へ約25km、大阪市から北西へ約35kmの圏域にある。北は篠山市、東は宝塚市、猪名川町、南は神戸市、西は加東市、三木市に接している。
また市域の面積は210.22平方キロメートル(東西19.3km・南北17.8km)で、人口の多くが集中する旧市街地とニュータウンは市の南部から南西部にかけて位置し、中部から北部には農地・山林が広がっている。
昭和33年の市制施行当時は3万数千余りの人口であったが、ニュータウン開発に伴い交通の利便性の向上、周辺都市に比して安価な地価等その他好条件から人口が急増し、昭和62年から平成8年の10年間は人口増加率が日本1位という状況が続いた。
水道事業としては、昭和11年7月に旧三田町水道事業として(計画給水人口6,000人計画1日最大給水量800)創設したのが始まりで、その後第1次拡張事業(昭和35年旧三田町、旧三輪町上水道事業統合計画給水人口16,000人)、第2次拡張(昭和37年)、第3次拡張(昭和42年)、第4次拡張(昭和44年)、第5次拡張(昭和47年)、第6次拡張(昭和49年)、第7次拡張(昭和55年)、第8次拡張(昭和60年3月計画給水人口113,500人・計画1日最大給水量59,500)、第9次拡張(平成12年4月計画給水人口151,100人・計画1日最大給水量74,000)と上水道事業を広げてきた。更に簡易水道施設の整備も平行して行い、昭和62年に大川瀬地区、平成2年に母子・永沢寺地区、平成4年に高平地区を簡易水道施設整備事業として進めてきた。
また本市の水需要を満たす水源としては、市域中央を縦断する武庫川を主水源としていたが、昭和50年代までは洪水と干ばつを繰り返し、安定的水源としては確立されていなかった。そのような状況の中本格的に拡張計画と簡易水道の統合を進めることができたのは、昭和61年県営青野ダムの一部貯水が始まり、県営三田浄水場が一部操業を開始した以降からであり、水源の安定的な確保が確立されたことを機に市内全域に給水体制を整えることが可能となり今日にいたっている。
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