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「蘭方医ナリ。・・・中略・・・ 理学原始、地球理説、舎密読本、舎密真言、化学初教、化学通、薬学遡源、硝石考、印度築城、砲術言等あり」(大正年間の人名辞書から引かれた旧版『三田市史』下巻(昭和40年刊)の川本幸民の紹介)
川本幸民(1810~1871)は、三田藩の藩医の家に生まれ、幕府の蕃書調所の教授をつとめた蘭学者です。多くの西洋の科学書を翻訳し、「化学」という日本語をつくるなどの業績から、「日本の近代化学の祖」と呼ばれます。
また、幸民は当時のあらゆる分野の西洋の書物を翻訳するだけでなく、科学の分野では自分の手で実験をおこないました。そうした幸民の業績のなかでもマッチの製造や写真の撮影とならび特筆されるものにビールの醸造があります。

文化7年(1810)三田足軽町で生まれる(生月日不詳)
文政2年(1819)藩校「造士館」に入る
文政12年(1829)藩主九鬼隆国の命により、江戸にでる。足立長雋の塾で蘭学を学ぶ
天保元年(1830)坪井信道の塾に入門。緒方洪庵と同門となる
天保4年(1833)三田に帰国
天保6年(1834)再度江戸に出る。医院を開く。結婚する
天保7年(1835)同藩の武士と刃傷事件をおこし、浦賀で謹慎
天保12年(1841)謹慎を解かれる
嘉永元年(1848)マッチを製作
嘉永4年(1851)銀板写真の撮影に成功。「気海観瀾広義」(きかいかんらんこうぎ)※①の1冊目を出版
嘉永6年(1853)ビールを醸造
安政元年(1854)「遠西奇器術」(えんせいききじゅつ)※②の1冊目を出版
安政3年(1856)江戸幕府の蕃書調所(ばんしょしらべしょ)の教師となる
文久元年(1861)湿板ガラス写真の撮影に成功。「化学新書」※③完成
明治元年(1868)三田に帰り、次男とともに「英蘭塾」を開く
明治4年(1871)東京で亡くなる
※①「気海観瀾広義」…基本的には物理学の本。動物・植物・鉱物、天体などに関する記述もある
※②「遠西奇器術」…西洋の先端技術を図版入りで紹介した本
※③「化学新書」…ドイツ人が書いた「化学の学校」のオランダ語訳を幸民が翻訳したもの。本格的で体系的ないわゆる化学書。ビールの醸造法が記される
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